及川 建太
Kenta Oikawa
プロジェクトマネージャー 一級建築士
2023年9月、歴史情緒のある鍋横商店街にNABEYOKO CLINIC MALL AND BUILDINGがオープンした。
端正なプロポーションを持ち、商店街の入口からよく見えるシンボル的な建築になっており、複雑な形状ながら、大胆で洗練された造形が特徴的だ。Field Design Architectsがこれまで培ってきた敷地条件・法規制・コストといった制約をむしろデザインの原動力に変える設計哲学が見事に表現された建築となっている。
今回は、この空間をゼロから創り上げたプロジェクトメンバーである及川氏に話を聞き、想いや設計プロセスを深掘りした。
制約を乗り越えて敷地が持っているのポテンシャルを最大限に引き出し、Field Design Architectsらしい「驚き」を随所に散りばめた空間は、いかにして生まれたのか──その舞台裏に迫る。
託された想い
まずは自己紹介もかねて、「NABEYOKO CLINIC MALL AND BUILDING」プロジェクトで担った役割を教えてください。
プロジェクトマネージャーを務めている及川です。2021年、入社直後からこのプロジェクトに関わり始め、真っ先に施主との顔合わせをし、敷地の確認をしました。そこから設計・デザインを進めてきて、着工後は図面を確認しながら、意匠や機能、性能がField Design Architectsのクオリティにふさわしいかを細かく確認してきました。
「NABEYOKO CLINIC MALL AND BUILDING」が開業を迎えた現在の率直な心境を聞かせてください。
無事オープンを迎えることができ嬉しく思っています。何よりも施主に「こんな素敵な建物ができて本当にうれしい」と笑顔で声をかけていただけたことが、設計者人生においてとても印象深い出来事でした。「この建物と土地を託された」という感覚もあり、その責任の重みを感じながら、想いを詰め込んだ建築をつくることができたと感じています。厳しい諸条件を持つ敷地ではありましたが、“Field Design Architectsらしい建築”になったのではないかと思っています。
プロジェクトが始まることになった背景を教えていただきたいです。
もともとこの敷地には施主のお父様が建てたマンションがありました。当時「この街をよりいいものにしたい」という思いの元建てられたそうです。しかしながら老朽化と耐震性能の問題から建て替えが必要となり「NABEYOKO CLINIC MALL AND BUILDING」プロジェクトが進む流れとなりました。お施主様がお父様から受け継いだ敷地であり、幼いころよく遊んだ地でもありました。『たくさんお世話になったこの街に、新たな活気をもたらしたい。』お施主様の思い入れがとても強かく、我々もその想いに強く共感しました。
『この街にとってこの建築がいいものになること』というのはどのような建築なのでしょうか?
鍋横商店街は、江戸時代に堀之内の妙法寺への参詣道として栄え、その入り口にあった茶屋「鍋屋」に由来します。その後、鉄道の開通などで一時衰退したものの、戦後にかけて発展し、現在も地元に密着した商店街として親しまれています。
しかしながら商店街に集客率を上げるような「核店舗(anchor store)」がなく、街には賑わいが失われ始めており、個人商店が廃業する例が増えていました。
そのような背景において、『この街にとっていいもの』とは①『地域住民から愛されること+地域住民から愛されること』②『地域住民から愛されること』③『利用者にとっても誇りに思える建築であること』と解釈しました。
その解釈の元、施主と対話を繰り返し外観ではこの街と調和しながらも品格をもたらすシンボル的な建築となることを目指し、機能としては商業+医療+居住という複合用途建築とすることを決めました。
制約をデザインの原動力に変える設計姿勢
複合用途の建築設計は 「法規制・構造設備・動線計画・街並み・事業性」の5つの軸が互いに干渉し合う点が難しさの本質です。単一用途なら成立する解が、用途混在では簡単に破綻してしまうため、設計者は「分離」と「統合」のバランスを巧みに取ることが求められます。
どのように基本計画を作っていったのでしょうか?
まず各用途の配置整理を行いました。1階は鍋横商店街に面しており、街の賑わいを活性化させるポテンシャルを最大限に生かすために商業用途を配置しました。2~3階には複数の診療科をまとめて配置し、来訪者が一か所で医療サービスを受けられる利便性を確保しました。そして4~10階には住居を計画し、商店街の賑わいから適度な距離を取ることで、静けさ・プライバシー性・眺望を兼ね備えた住環境を実現しました。これら機能をまとめ上げて厳しい諸条件を持つ敷地に当て込みました。
『厳しい諸条件を持つ敷地』とは具体的にどのような制約があったのでしょうか?
敷地西側には第1種住居地域がかかり、厳しい日影規制が立ちはだかりました。そのまま受け入れれば建物は歪な形になり、とても街のシンボルにはなり得ない。私たちは規制を丁寧に読み解き、最小限の操作でプロポーションを整え、制約をデザインへと昇華させました。
日影規制によって生まれた低層部の屋上部分は医療テナント用の屋上広場としつつ、法規上必要な空地と避難スペースとしても活用しており、法規性と利便性と空間の快適さをインテグレートしています。
さらに、商業+医療+住宅という複合用途では、条例上それぞれの階段が必要となります。そのままでは「階段だらけ」の雑然とした外観になってしまう。そこでX階段の構成を取り入れ、合理性と美しさを両立する解を導き出しました。
あらゆる制約を合理的に解き、プロジェクトのポテンシャルを最大限に建築で表現する、それこそField Design Architectsが掲げる『制約への挑戦』でした。
想いを温度に変えて建築に伝える
設計をまとめ現場監理でのこだわりを聞かせてください
現場では設計図に現れてこない細やかな調整が常に求められます。施工上・構造上・コスト上発生する変更は常にパースに反映して施主とコミュニケーションを取りました。自分自身納得したデザインのクオリティを持ちたいと持っていたので目地一本妥協せずに修正・変更を続けました。建築のデザインはコンセント1つ、配管1本、目地1つ狂ってしまうだけで美しさが失われます。図面では理解しきれない部分を現場監督、職人と共有しながら現場監理を続けました。例えばバルコニー軒裏に現れる誘発目地と手すり芯を揃える。言われないと誰も気づかないような小さな整理ですが、こうした積み重ねこそが建物に品格を与えると信じ、最後までこだわり抜きました。
パースを使ったコミュニケーションですと施主も理解しやすいですね
図面表現は訓練を受けた人、つまり設計者や施工者しか理解しきれません。また言葉で変更点を伝えてもコストなどの「定量的な理解」はできても、美しさなどの「感情を揺さぶる定性的なもの」は理解しにくい。施主を置き去りにしないで一緒に考えていく、それを特に気をつけています。
施主の理解が進むとアイデアも生まれます。共同住宅の屋内廊下には、施主と一緒に選んだクロスを採用し、各階ごとに異なる表情を演出しました。
外観でも、「街にとっていいもの」になるように、ファサードは洗練された都会的な印象を目指しつつ、杉板型枠に職人の特殊塗装を施し、手業による仕上げを随所に仕込むことで鍋横商店街が持つ「温かい歴史・文化」に調和する表情になったのではないかと想います。
植栽計画では、生け花を嗜む施主の植物に対する造詣の深さがふんだんに表現されており、敷地全体に豊かな彩りを与えています。
施主が持つ想いに共鳴するように私達の持つスキルを駆使して、建築に温度を与えられたのではないかと思います。
制約を美しさへ
設計をまとめ現場監理でのこだわりを聞かせてください
NABEYOKO Building は、単なる建て替えではありませんでした。
一つの建物が建て替えられるだけで、街の印象がここまで変わるのか――その事実を実感しました。
施主の「街をより良くしたい」という願いに、設計者の独りよがりではない開かれたコミュニケーションで応えていく。打ち合わせや現地調査を重ねるごとに、提案は想像以上に洗練され、より街にひらかれた建築へと進化していきました。そこには、合理性と感性が響き合うプロセスがありました。
さらに現場に入ってからも「良い建物にしてやろう」という私と職人の執念が積み重なり、細部にまで魂が宿りました。目地一本の通り方や素材の仕上げといった小さなこだわりは、最終的に建物全体の品格を決定づけています。執念は必ず空間に現れる――それをこの現場で改めて学びました。
完成した建物は、ただのマンションではありません。1階の店舗やクリニックモールは街の人々の生活を支え、住戸は単身からファミリーまで幅広い暮らしに寄り添っています。そしてそれらが一体となって、街に新しい風景と価値を生み出しました。
このプロジェクトが教えてくれたのは、建築は「合理性」と「美しさ」の両立によって街に貢献できるということ。そして、施主・設計者・職人が共に挑戦を重ねることで、建物は想像を超える姿に到達するということです。
NABEYOKO Building はまさに、“プロジェクトこそが作品” という私たちField Design Architectsの信念を体現する建築となりました。
―― 街に開き、人に寄り添う。それがField Design Architectsの建築です。